短編小説「人間が『ヨシ』と言う時代が来た」表紙 — グンタ・ブルンナー著
短編小説「人間が『ヨシ』と言う時代が来た」表紙

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短 編

人間が「ヨシ」
言う時代が来た

俺の名前は英愛叩太郎。無職だ。

ベンチャーでの「実績」を引っさげて転職活動を始めたが、世の中は俺が思っていたよりも変わっていた。どの求人サイトを開いても、「エンジニア」という職種が見当たらない。正確に言えばゼロではないが、それはレガシーシステムの保守要員で、年収は俺の前職より低い。代わりにどこもかしこも募集しているのが「オーケストレーター」という謎の職種だった。

オーケストレーター。指揮者。何を指揮するんだ? オーケストラか? 俺は音楽の才能はない。

だが、よく読むと、あの大手テック企業——そう、俺のプロダクトをパクって7日目に俺の希望を粉砕したあの会社——が、オーケストレーターを大量に募集していた。給料を見て二度見した。前職の5倍だった。ゼロが一個多くないか? いや、合ってる。ベンチャーの給料が低すぎただけかもしれない。どちらにしろ、俺は応募した。

面接は奇妙だった。

一次面接。画面の向こうに座った面接官は、技術的なことを一切聞かなかった。LeetCode? システムデザイン? ホワイトボードにアルゴリズムを書く、あの儀式? 一切なかった。代わりに聞かれたのはこうだ。

「最近、何か夢中になったことはありますか? 仕事以外で」

俺はカバと小型車がインドの国道で衝突する動画に夢中になったことを正直に話した。面接官は深く頷いた。

「好奇心がおありなんですね」

そうなのか?

二次面接。別の面接官が出てきた。

「長時間、何も起きない状態に耐えられますか?」

俺はバッチ処理が48時間終わらなかった話をした。面接官は感心した顔をした。

「忍耐力ですね。素晴らしい」

いや、あれは単に寝てただけだ。

三次面接。

「あなたは素直な方ですか?」

素直。俺は社長に「リリースしろ」と言われたら「ですね」としか返さない男だ。素直の権化である。

「はい」

最終面接。役員が出てきた。

「あなたは、自分のセンスに自信がありますか?」

俺は一瞬固まった。センス。俺のセンスとは何だ。Spotifyで流れるインストゥルメンタルの曲名すら知らない男のセンスとは。しかし、俺はあの7日間を思い出した。ダッシュボードの赤い項目をクリックして、「最適化しといて」と言い、「再発防止をして」と言った。あれが、センスでなくて何だ。

「あります」

俺は採用された。面接中、コードは一行も聞かれなかった。

入社初日、俺はこの会社の「工場」を見せられた。

工場といっても物理的な建物ではない。画面の中にある。正確にはそれは、自律的なプロダクト開発パイプラインだった。社内では単に「ファクトリー」と呼ばれている。

俺の教育担当は入社3ヶ月目の元グラフィックデザイナーだった。エンジニアですらない。彼女はこう言った。

「まず、何もしないでください」

何もしない。俺の得意分野だ。

彼女はダッシュボードを開いた。そこには複数のプロダクトラインが流れていた。リサーチ、設計、実装、テスト、リリース、マーケ、分析。すべてが自動で回っている。人間のアイコンはどこにもない。

「これが昨晩のアクティビティです」

画面をスクロールすると、夜中の2時にファクトリーが論文を3本拾ってきて、そこから機能の仮説を12個ひねり出し、うち4個をプロトタイプし、2個をステージングに載せ、1個を本番に出していた。朝6時には結果が出ていて、その1個は棄却、代わりに前日の別ラインの機能が採用されている。全部、俺たちが寝ている間の出来事だ。

「これ、誰がやったんですか?」

「誰も。ファクトリーです」

俺はこの瞬間、あることに気づいた。7日目に俺を潰したあの競合リリース。あれは人間がやったんじゃない。このファクトリーが勝手にバズを検知して、勝手に開発して、勝手にリリースしたのだ。

あのDOSも、ファクトリーの「競合分析モジュール」とかいうやつが自動でかけた負荷テストだったらしい。法的にギリギリ問題にならない程度の。つまり俺は、人間に負けたんじゃない。工場に轢かれたのだ。

なんかちょっと悔しいが、同時にちょっと安心した。

ファクトリーの全貌を知るにつれて、俺の常識は少しずつ壊れていった。

開発だけじゃない。差別化機能を勝手に作る。特許を勝手に出す。商標も勝手に登録する。論文まで勝手に書いて投稿する。……特許まで? 俺が一番苦手なやつだ。法務AIが並走していて、各国の知財法に抵触しないかリアルタイムでチェックしている。ファクトリーが先月出願した特許は478件。人間の知財部門は3人で、彼らの仕事は「AIが出した特許の中から、本当に価値のあるものだけ選ぶ」ことだった。俺の仕事と似ている。「ヨシ」と言うだけだ。

そして競合対応。ファクトリーは常時、市場をスキャンしている。競合が出てくると24時間以内に対抗機能を出す。同時に自社プロダクトに1日150個のバリエーションを出して、良いやつだけ残して、あとは消す。毎日。昨日と今日でもう別の会社になっている。

ある日、別のレガシー大手がうちのプロダクトをパクろうとした形跡があった。ファクトリーは兆候を検知した瞬間に差別化機能を先回りで実装し、特許を3件出願し、商標を2件登録して封じた。翌朝にはもう終わっていた。俺はダッシュボードの通知で知った。「競合対応完了。詳細はこちら」。リンクはクリックしなかった。緑だったから。

じゃあ、オーケストレーターは何をするのか。

答え:主に、見守る。

俺の一日はこうだ。朝、起きる(リモートだ)。ダッシュボードを開く。緑が多ければコーヒーを飲む。赤が多ければ、コーヒーを飲みながら見る。

たまにファクトリーが「攻めすぎ」になることがある。競合を潰すために機能を詰め込みすぎて、UXが破綻する。ユーザーの離脱率が微増する。数字が少し黄色くなる。それを見て、俺はこう入力する。

「ちょっと落ち着いて」

するとファクトリーは攻撃性のパラメータを下げ、UX重視のモードに切り替わる。

逆に「守りすぎ」になることもある。既存ユーザーの維持に固執して、新しい市場への展開が停滞する。緑だけど、動きがない。その時は俺がこう言う。

「もうちょい攻めていいよ」

これがオーケストレーターの仕事だ。人間のセンスで、AIの攻守のバランスを取る。面接であれだけ「好奇心」「忍耐力」「センス」「素直さ」を聞かれた理由がようやくわかった。

あとは、「それ自動化できると思うからして」って言う。するとだいたい自動化される。

もう一つの仕事がある。責任を負うこと。ファクトリーが出した判断の最終責任は人間が取る。数年前の法改正で、そう決まったらしい。

レーシック手術と同じだ。あれも今や何億もする機械がレーザーを照射して、医者はボタンを押すだけ。最近、術後の法的責任も医者からメーカー側に移ったらしい。あの医者、ボタン押すしかやることないのに高給取りだ。

でも考えてみれば、そのボタンを「押す」という行為に責任が宿っている。何百万行のコードと何十億のパラメータの先に、一人の人間が「ヨシ」と言う。それだけで給料が発生する。俺の「ヨシ」にも、同じ重さがあるらしい。

俺はベンチャー時代にも「ヨシ」と言っていた。あの頃の「ヨシ」は無料だった。今の「ヨシ」は前職の5倍の値段がつく。世界は狂っている。でも居心地は悪くない。

入社2ヶ月目のある朝、社内ニュースが流れた。

M&A完了のお知らせ。

買収先を見て、俺は自分の目を疑った。

あの会社だった。俺がいたベンチャーだ。

なんで? 潰したのに? あの会社のプロダクトはもう死んでる。ユーザーはゼロだ。サーバーも止まってるはずだ。何の価値がある?

俺は元社長に連絡を取った。破産手続きの真っ最中だったはずだ。しかし社長は信じられないほど上機嫌だった。

「叩太郎くん、聞いてよ。50億だよ。50億」

50億。

俺は黙った。

答えを聞いて、さらに黙った。

あの会社には、創業時の古い職人——とっくに引退した初代CTO——が、人間の手で、魂を込めて取得した特許が2つあった。AI以前の時代に、人間の脳で考え、人間の手でコードを書き、人間の口で特許庁に説明して勝ち取った、独創的なアルゴリズムの特許。そしてもう一つ、社長が趣味で描いたゆるいキャラクター——社内マスコットとして細々と愛されていたあのIPの著作権。

それだけだった。

ファクトリーは何でも作れる。コードも、機能も、論文も、商標も、新しいアルゴリズムも。しかし、既存の特許と著作権だけはコピーできない。パクれば訴訟リスクが発生し、株価が変動する。この会社の時価総額からすれば、50億なんて誤差みたいな金額だが、訴訟リスクによる株価の変動は50億では済まない。

だから、この会社のM&A戦略のデフォルトは「全部買う」だった。作れるものは作る。作れないもの——人間の創造の痕跡としてだけ残った知財——は買う。50億は、ファクトリーにとっての「材料費」に過ぎなかった。

社長は泣きながら笑っていた。「俺のキャラが50億だよ、叩太郎くん。あの落書きが」

社長は南の島を探し始めた。

俺は窓の外を見た。曇っていた。同じ会社にいたのに。社長は50億、俺は月給。世の中は不公平だ。でも恨みはない。だって社長を救ったのは社長のセンスでも俺の技術でもなく、10年前に引退した職人の特許と、社長が深夜にiPadで描いたゆるいキャラクターだった。

人間が、人間の手で作ったもの。それだけが最後に残る。

この先、物語はさらに加速する——

1億ユーロでエグジットした男の崩壊と復活。

月30万円のベーシックインカムがもたらした虚無。

そして叩太郎が、ノートを開いた夜。

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Inspired by @mizchi — 「人間がコードを書く時代は終わった

@gunta85

2026年2月17日 初版発行
発行 泉書房

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